「皇帝」の名を持つ男

スカイランナー宮原 徹は皇帝と呼ばれている。
彼が主戦場とする「スカイランニング」は主に標高2000m以上、アップダウンの激しい本格的な山岳地を舞台に行われる山岳マラソンだ。一般的にトレイルランニングとひとくくりにされる山岳レースの中でもとりわけ競技性が高く、人呼んで「山岳マラソンのメジャーリーグ」。本場欧州では数十年の歴史があり、国際スカイランニング連盟は将来的な五輪種目入りを目指して盛り上がっている。
その中にあって、宮原選手はここ何年も国内のレースでは無敗を誇っている。近年はバーティカルキロメーターという「獲得標高差1000m一気登り」の種目に照準を合わせており、2位以下にはその影すら踏ませない。圧倒的なまでに速く、強い。誰が最初に呼び始めたのか。いつの日からか、日本のトレイルランナーのあいだでは皇帝と呼ばれている。

登りのスペシャリスト、アジアの頂点へ

2014年、はじめて参加した『スカイランニング世界選手権 バーティカルキロメーターの部』で5位入賞。バーティカルキロメーターという種目すら初体験だったというが、アジア人過去最高の成績に輝いた。スカイランニングは世界各地を転戦するサーキットシリーズを開催している。中でも注目度の高い世界選手権は隔年での開催。昨年夏の前回大会はメダルへの期待も高まっていたが、業務の都合で泣く泣く参加を見送った。
2016年12月、夏の世界選手権欠場のリベンジの機会がやってきた。香港はランタオ島で開催されるトレイルランのメジャーレース『MSIG ランタオVK/50』が、その年のスカイランニングアジア選手権に指定されたのだ。同レースはアジア選手権を兼ねつつ、世界のトレイルランニング界の猛者が招待される、山岳マラソンシーズン最終盤のお祭り的な側面も持つ。
平地のトラック種目である5000mの自己ベストは14分05秒。1万mは29分04秒。速いが、陸上としては世界レベルではない。スカイランニングはトラック種目に比べて競技人口が少ないとはいえ、日本でも世界でも、宮原以上のタイムを持つ選手は珍しくない。だがひとたび山へと、それも登りに入れば世界有数の速さで駆け上がる。

「自分の力をもっとも発揮できるフィールドが山、それも登りパートだったんです。このスポーツなら世界の舞台で戦えると感じました。距離は短くても長くても構いません。登りであれば(笑)※。 スカイランニングはアップダウンの激しい本格的な山岳地で行われる競技ですが、中でもバーティカルキロメーターは標高差1000mを駆け上がる比較的短い競技時間の種目です。水平距離は一定ではなく、歩きが入らざるを得ない2~3kmの急こう配のコースもあれば、5km以上のややなだらかな”走れるコース”もあります。急こう配では脚がキツく、走れるコースでは心肺に負担がかかります。いずれにせよ登りですから、ロードレースと違って最初からある程度キツさを感じ、ゴールまで楽なところはほぼありません。終盤になると脚の筋肉がピクピクします。ロードではめったに攣りそうにはなりませんから、山ならではの、別の苦しさだと思います。でも何なんでしょうか、上へ上へと移動していくのは格別なんです。一般的な登山タイムの1/4~1/5ほどで上れてしまうのですが、こんなに速く上がれるんだ、しかも山の中のすごい景色のところを。と、楽しさが苦しさを上回るんですね。単純に、高いところに行くのは楽しいですし。苦しいけれど不思議と体が動くという感覚のときもあって、気分も高揚していいレースができます」

※宮原選手は富士山を一合目から山頂まで一気登りする『富士登山競走』で負け知らず、過去3戦3勝。70年を超す歴史あるレースだが、初出場でいきなりコース記録を更新、現在も圧倒的なコードを保持している。

山頂で仲間が待っている、だから頑張れる

話をアジア選手権に戻す。2016年12月に行われた『MSIG ランタオVK』で、宮原は見事優勝を飾った。
「急こう配のレースでは途中では歩きと走りをミックスし、酷使する筋肉を意識的に使い分けることで最速でのフィニッシュを目指します。今回のコースは5kmで約950mアップとそこまでの急こう配ではなく、急斜面では階段も多かったため、走れるコースで比較的得意なプロファイルでした。実際にほとんど走りっぱなしでした。
バーティカルキロメーターでは一人づつのウェーブスタートが一般的ですが、今回スタート地点が開けたビーチで、約100名の一斉スタートでした。じつは序盤に自分の不注意でミスコースしてタイムをロスしてしまい、本格的な山岳区間に入ったからトップに立つという展開になりました。残りの数十分は後続ランナーの気配を感じながら走っていました。でも意識しすぎると走りが硬くなってしまうので、なるべくマイペースでと意識して。それでもプレッシャーはやっぱりありましたけど。
コースの下見をしなかったので、そういうときは過去の優勝タイムから逆算してターゲットタイムを決めます。ランタオ島の山は森林限界が低く開けていて、山頂のゴールまでが見通せてしまうコースだったんですよ。レース中いくつか偽ピークのようなところがあって、その中でも一番遠くに見えた、あそこまで行くのか、と。だからこそタイムを基準にして、ラスト10分を切ってからギアを上げ、追い込んでいくイメージで走りました。残り7~8分を切ったところで後ろとの差を確認し、これなら逃げきれそうだと確信することができました。
今回はアジア選手権ということもあって、日本のスカイランニングチームの仲間と一緒に渡航しました。いつもの孤独な遠征と違って仲間とすごすからリラックスできますし、ゴールの山頂では応援したりともに競ったりした仲間に会える。そう思うと普段以上の力が出せます」
38分17秒で優勝。2位には34秒差でフランスの若手ニコラ・マルタンが入った(アジア選手権としての順位では着外)。他にも日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)やUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)、UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)などで優勝経験のある欧州トップトレイルランナーが複数人参戦していたが、日本のバーティカルの皇帝はその影を踏ませなかった。

盛り上がるスカイランニングシーンの、世界の第一線で

宮原は皇帝と形容される強さとは裏腹に、物腰はいたって柔らかく、奢ったようなそぶりは一切感じられない。だからアスリート仲間にトレーニング方法などを聞かれても分け隔てなく、包み隠さず答えている。
「ギアやウエアはできるだけ軽く、通気性のいいものを着用しています。今回のレースでは平野部の気温が30度近くあったため、C3fitのスリーブレスを着用しました。Tシャツや軽量のジャケット、5本指ソックスなどは年間を通じてトレーニングで着用しています。
走れるコースのレースではロードラン用の軽いマラソンシューズを使っています。
ロードレースにも参加しますから、秋から冬にかけてはほぼロードオンリーのトレーニングです。雪が解けると、富士登山駅伝を目指して。
バーティカルでは筋力はそこまで重要ではありません。登りのフォームといいますか、山道でのテクニック、技術的なことが非常に重要です。またレースではメンタル的の影響も少なくありませんので、30代半ばになった今でもまだまだ衰えているとは思いませんし、伸ばせるところもゼロではないと感じます。
とはいえ将来的な業務での役割や立場までを含めて考えると、この先ずっと今までのようなトレーニングを積んで競技に専念するのは難しく、自分が第一線で走れるのもあと数年でしょう。ここ最近バーティカルキロメーターの世界は年々発展していて、競技としても注目度が増し盛り上がっています。その中で日本人として世界に後れを取らず、上位で勝負すること。そして後に続く若手アスリートたちにできるだけ長く背中を見せ続けることで、彼らが世界の高みを目指し、いつかは自分を追い越していって欲しいという思いがあります。
日本国内でのバーティカルキロメーターのシリーズは2016年から本格的にスタートしました。正直あと10年若かったら、あと10年遅く生まれていたらと想像したこともあります。ですがまだまだ若手には簡単に追い抜かせるつもりはありません。やるからには常に全力で。それが自分の役割だと思っていますから」