山の中には、さまざまな色彩が溢れています。けれど、それに気付けるかどうかは自分次第です。“美しいとされるもの”や、“それらしさ”に捕われる必要はありません。山の中に身を置き、感覚を研ぎすませる。目の前にある自然を真っ直ぐに見つめれば、それは自ずと目に飛び込んでくるはずです。
北八ヶ岳は、雪の季節でも歩きやすいルートが多いのでよく訪れる。今回は双子池ヒュッテを目指して、1泊2日の山行を計画した。ロープウェイで坪庭駅に上がると、そこは風雪が吹き荒む灰色の世界であった。思わず友人と顔を見合わせたが、午後から天気は回復する見込み。憂鬱な気持ちに鞭を打ってワカンを履いた。
坪庭を抜け、雨池峠を経て樹林帯に入ると、とたんに静寂が訪れた。立ち並ぶシラビソの木肌には、細やかな霧氷が付いている。急な坂道の途中で惚れ惚れと見入ってしまい、足を滑らせて尻もちをついた。大石川林道に出ると、その先はまっさらな深雪であった。ここからはしばらくのラッセルである。
一歩踏み込み、足の上に覆い被さった重い雪をかきわけ、また次の一歩を踏み出す。ときには膝上まで沈むこともある。そうして無心に進んでいくと、いつの間にかずいぶんと遠くまで来たことに気付く。歩くことをやめなければ目的地に着く。そのシンプルさが山の良いところである。ゆっくりでいいし、立ち止まって写真を撮ってもいい。人と競う必要も、もちろんない。雪を踏む音を聞きながら、目だけは忙しく動かして、山の中に佇む色彩を探す。そんな時間はとても楽しい。
冬の山では、自分の体温をたしかに感じられるのも良い。どんなに気温が低くても、少し歩けば、身体中に血が巡っていくのがわかる。びりびりと痺れていた手先や足先に、温かさが灯る。雲の間から太陽の光が差し込めば、張りつめていた空気がたちまちゆるみ、陰鬱としていた気持ちも上を向く。青白かった雪面が、ほのかな黄みを帯び、やわらかくほどけていく。これほど嬉しい瞬間は、ほかにないかもしれない。
道の途中で、すらりと伸びたダケカンバに出合った。少し緑みを帯びた灰褐色の樹皮が、紙のように薄く剥がれて、栗褐色の若い樹皮があらわになっている。その色は、雪をまとった針葉樹の森によく映えて美しかった。いつもは景色に溶け込んでしまう樹々も、白い背景ではその一本一本が際立って、思わずはっとする。
長い林道が終わりに差し掛かるころ、辺りはカラマツの森に変わった。その樹々のいたるところに、パーティーの飾り付けのように垂れ下がるサルオガセ。風に吹かれてふわりふわりと揺れている様子は、こちらにおいでと手招きしているようにも見える。そうして、ようやく双子池ヒュッテに到着した。しばし山小屋の温かさに身を委ね、再び降り始めた雪を窓越しに見つめた。
私たちの付けたトレースは、翌朝きれいに消えていた。夜の間にだいぶ降ったのだろう。山はこうして日々生まれ変わる。同じ道を歩いても、見える景色はがらりと変わる。さらに深くなった雪をまた一歩一歩、踏みしめて帰る。
1日目:約3時間半
2日目:約4時間
北八ヶ岳ロープウェイ坪庭駅(2,233m)〜雨池峠〜大石川林道〜双子池ヒュッテ(2,034m)往復
※大石川林道は通行禁止となっていますが、今回は天候と他ルートの積雪状況を鑑み、自己責任で通ることにしました。
・着用アイテム
シェル+コットン ウィンドブレーカー
2月上旬発売予定
【プロフィール】
鈴木優香山岳収集家。東京藝術大学修了。ライフワークとして国内外の山を巡り、道中で出合う美しい瞬間を拾い集めるように写真に収めている。山の景色をハンカチに仕立ててゆくプロジェクト「MOUNTAIN COLLECTOR」(2016年〜)、写真展「旅の結晶」(2023年)。