昨年夏、長野県と山梨県にまたがる八ヶ岳を往復するFKTタイムトライアル〈EIGHT∞〉を行ったトレイルランナーの志村裕貴。走行距離90km、獲得標高8200mというソロプロジェクトを成し遂げた志村にとって、挑戦はどんな意味を持っているのか? 小学校の教員として働く日常と〈EIGHT∞〉のような非日常の挑戦とを繋ぐ感情とはどんなものなのか? 「喜怒哀楽のすべてを曝け出したい」という志村の考え方に焦点を当てて、話を聞いた。

まず職業として、小学校の教員を選んだ理由から教えてください。

中学生の時に、夏休みの読書感想文に選んだ『夢をつなぐ』という本があるんです。アトランタ・パラリンピックの競泳の金メダリストである、河合純一さんの生涯を追った物語なんですが、河合さん、全盲でありながら先生になっているんですね。本の中の言葉に『ぼくだからこそ教えられることがあると思う』と書いてあって、中学生の自分にすごく刺さったんです。その言葉の重みに、自分が始まった感じがしたんです。小学校6年生までは真剣に○○レンジャーのレッドになりたいと思ってましたから(笑)。目が開かれたというか。勉強ができるタイプでもないし、運動もスペシャルなわけではない僕にも、教えられることがあるんじゃないか、何よりも外遊びが得意な先生がいたっていいんじゃないかと考えたんです。

でも、そのヒーロー願望は、先生という職業を選んだことで叶えることができたんじゃないですか?

子どもたちは、去年と今年、コロナ禍によってすごく苦しい思いをしているんですよね。目標とする大会が開かれなかったり、思うように人と会えなかったり。でも、僕が八ヶ岳の〈EIGHT∞〉に挑戦する姿を見て、先生になりたいと思ってくれた子がいたんです。手紙をもらって、そこには「先生は私のヒーローです」って書いてあった。その時に僕は、小学6年生の時の夢を、中学生の時に出会った夢を通じて、叶えることができたなと。

言葉よりも、自分が行動によって示すことで、子どもたちの心を動かしていくんですね。

「外で遊びなさい」と言って、休み時間に先生たちが職員室でコーヒーを飲んでいたらおかしい気がするんです。たくさん遊べと言うなら、先生が誰よりも遊ばなければ(笑)。やっぱり子どもと一緒に楽しみながら、自分自身も学んでいくというか。教師でありながら、教えることよりも教わることの方がずっと多いんです。自分の考えがいかに小さいか、毎日のように思います。自分の枠を飛び越えていくような意見にたくさん出会いますから。自分自身も成長しないと、あっという間に子どもたちに置いてかれてしまう。

達成感とも自己肯定感とも違う、
いい顔を引っ張り出したい。

今回の〈EIGHT∞〉への挑戦は、コロナ禍によって自由に遊べなくなってしまった子どもたちへのメッセージとしての部分も大きかったのですか?

僕は田舎で育ったので、周りの友達も全員農家の子どもですし、学校から帰ったら畑に寄って親に声をかけて、お菓子をポケットに忍ばせて、いつもの遊び場所に集まっていたんですね。遊びをお兄ちゃんたちから教わって、自分たちなりに、大げさに言えば創造していたんです。けれど、今の子どもたちは、オンラインゲームで「16時にログインしようね」みたいな約束をして帰るんです。会話も全部チャットでできる。それが子どもたちにとっては当たり前なんですが、僕はどうしても違和感を覚えてしまう。ゲームは、やっぱり枠の中の遊びだと思うから。でも、自然の中の遊びって、枠がないですよね。自分ですべて創造できる。例えば、夕日の色をどうやって表現するかだって遊びになる。それに、遊びの時間って、みんないい顔するんですよ。勉強ができたり、体育の鉄棒で逆上がりができたときにもみんないい顔します。でも、その達成感や自己肯定感とは違う、いい顔がある。だって遊びですから、頑張らなくても楽しいんです。できないことすらも楽しかったりする。遊びは常に自主的にスタートしますから。

その遊びの素晴らしさを伝えたいんですね。

外遊びが、僕という人間のベースをすべて作ってくれたんです。トレランも遊びの延長線上にあるもの。今回のFKTはレースとは違って、ずっと自分と向きあって対話をしなければいけない。それが挑戦だったように思います。道中、雷雨によって停滞してしまうんですが、会いたくないような自分とも向き合わざるを得なかった。「こんなに弱いんだな、俺」とか、「もうこれ以上駄目だ」っていう思いに支配されて、簡単に「もう止めたい」という気持ちを抱く自分がすごく嫌でした。「やるしかない」って口では言っているのに、すごくイライラしてる。

でも、その嫌な自分との出会いにも意味がある。

はい。停滞からのスタート直後は、体が冷え切って固まっていたから、一歩足を踏み出すたびに「やめたい」って思って、義務のように足を踏み出していたんですね。でも東天狗岳という山に立った時に、顔上げたら、今でも忘れられないくらい、青空に黒い絵の具を塗ったような、明るさがあって温かみがあって、何とも言えない景色だったんです。その瞬間に、どう表現していいのかわらかない感情になりました。ずっと苦しい状況で進んできて、ものすごく視野が狭まっていたのに、東天狗岳でその景色を見てからは、次の一歩がポジティブな一歩に変わったんです。体は変わらず苦しいんです。でも、この一歩は、確実に頂上に近づく一歩だって思えた。すべて変わる瞬間だった。僕はあの瞬間こそが、このFKTに挑戦した意味だと思っています。そこから、心が開いていったんです。

心が開いていくとは、どんな意味でしょう?

僕は自分に素直でありたい。弱い感情が自分を覆ってしまうこともあるし、悲しい感情によって覆われてしまうこともある、そういう人間なんです。でも走りながら、苦しい時には苦しい顔をしたっていい。素直に自分を曝け出しながら、自分と向き合いながら山を走るのが僕のスタイルだと思ってます。喜怒哀楽のうち、喜びだけだったら、レパートリーとして少ないじゃないですか。五感をフル活用しながら、ちょっと怒ったっていいんですよ。子どもたちにも同じことを言ってます。もっと自分に正直でいいし、素直でいいんだよって。いい子にならなくていいって。先生だって泣くし、怒るし、辛そうにする(笑)。でも、だからこそ、心の底から開いて、景色に感動して、モノクロだった世界がカラーに変わるような瞬間を味わうことができたんだと思ってます。

遊びは、常に自分のため。
だからこそ、人の胸を打つ。

FKTという、自分で考えたプロジェクトを行うことによって、レースでは味わうことのできない感情があるんですね。

レースでは、山の上にエイドステーションがあったりして、普通では絶対にありえない状況で、守られています。でもFKTは自分の挑戦ですから、山の装備をしっかりと持っていかなければならない。重いんです(笑)。自分の身を守るのも、自分自身。だから精神的な意味でも自分と向き合うことができるんだと思います。レースと自分の挑戦と、その両方をやっているのが、強いランナーなんだと思うんですよね。山遊びがなくて、レースばっかりでスピードだけを求めていると、人間としての魅力があまり感じられないような気がするんです。運動ばっかりで、遊ぶのが得意じゃない子どものようで。体育の時間でもサッカーはうまいんだけど、初めてサッカーするような子たちとは楽しめないっていう子どもがいるんですね。それはもったいないなと。一緒になって楽しめる方が魅力的ですよね。僕は、そうありたい。山の遊び方とレースの面白さと両方知っている人たちが、トレイルランニングの文化を広げていくんだと思ってます。

大人も子どもも、挑戦した時には、いい顔するんですよ(笑)。遊びって、誰かのためにはやらないですから。自分自身のためにやるんです。でもそれが、誰かのためにもなってくれたら、こんなに嬉しいことないですよね。僕は、いい顔をたくさん見たいんです。そのためには自分の信条として、自分がやるのが一番ですから。

PROFILE:

志村裕貴 (HIROKI SHIMURA)
1986年山梨県生まれ。ぶどう農家に生まれ、小学生の頃から山を走り始める。現在は小学校教諭という本業の傍ら、競技としてのトレイルランニングを行っている。2018年、ハワイで開催された「HURT100」で総合7位。2019年にはアメリカ・コロラド州での「OURAY100」で、4位入賞を果たす。現在はアスリートとしての挑戦だけでなく、トレイルランニングを通じて地元山梨の山の魅力を発信している。 2020年、八ヶ岳往還FKTを30時間52分26秒で樹立。

WRITER : TOSHIYA MURAOKA
PHOTOGRAPHER : SHO FUJIMAKI, YUSUKE ABE