この前、娘と日本へ旅行をした。彼女はまだ8歳。しかし彼女にとっては2度目の日本だった。1度目は、彼女が4歳の頃。おそらく山梨県で出会った“テト“という犬のこと以外何も覚えていないはず。しかし今回の旅は、きっと彼女の中に何かを残していることだろう。
8歳という年齢は、旅を始めるのにちょうどいい年頃なのかもしれない。私自身もちょうど8歳の頃から、両親に連れられてよくフランス国外へ行くようになった。ヨーロッパの人たちは、長い休暇をとる習慣がある。当然、私の両親もまたその習慣をフル活用して長期間休みをとり、子どもを連れてはいろいろな国を訪れ、いろいろな人に出会い、そして思い出を作ってきた。
父は旅をすることが大好きだった。そしてどこへ行こうが自分なりの“楽しみ方“を見つけることができる人だった――今の私のように。そんな父と母、兄と私の4人での旅だ。フランスから出発し、目的地を目指すわけだが、まずは寝床の確保。当時はまだ、インターネットはおろかファックスさえもない時代だった。だからガイドマップを参考にしたり、友達に聞いたりして、旅に必要な情報を収集する。今のように便利な予約サイトなんてものも当然なく、すべて電話で行う。当然、目的地によっては言葉がわからないこともあっただろう。でも私たちはツアーに参加したことは一度もなかった。
今では想像できないぐらいの難関をくぐりぬけ、ようやく目的地に着くと、父はいつも地元の新聞を買っていた。例えばニューヨークへ行ったとき、すぐにコンサートのチケットを予約し、さらに美術館や博物館などでどのような企画展が行われているのかをチェックする。父は、私たち子どものことも忘れてはいなかった。私も兄も、子どもと大人の遊びの両方を旅先で楽しんでいた。父はアンティークのディーラーであり、アートギャラリーのオーナーだった。そのためネットワークも広く、旅先に誰かアーティストやディーラーがいると、すぐ彼らに電話をかけ、家族全員で家におじゃましていた。見知らぬ土地を歩くだけではなく、そこに住む人と会い、話すことも大切だ。旅がさらに面白い経験になるから。一緒に話ができる人であれば(国の代議士とかでなければ)、本当に誰でもいい。そこで生活している人たちと時間を過ごすことは、その旅の経験をアップグレードしてくれる。私が1990年代初めに『Purple Magazine』というファッションカルチャー誌を出版した頃、頻繁にニューヨークを訪れていた。少なくとも1年に2〜3回は通っていたはず。パートナーであり、現在編集長を務めるオリバー・ザームと一緒にいつもアーティストを取材し、そしてソファを一晩だけ借りて、雑魚寝させてもらっていた。そんなことをしているうちに、私は深い意味でニューヨークのことを知っているような気持ちになり、今ではもう一つのホームのように感じている。
旅の面白みは異文化を知ることだけではない。自然だって場所によって表情が異なるし、ほかにもいろいろと発見がある。カナダの湖にボートを浮かべて、サーモンを釣ったこともあった。ハワイでは、噴煙や溶岩を見ながら火山の周りを歩いたこともあった。ブラジルにあるマトグロッソという地域では1か月間滞在し、小さな木製のモーターボートに乗り、食料用のピラニア釣りも体験した――積極的に食べようとは思わなかったけれど……。こんな父の旅、そして私の旅には、いわゆるツアー的な考え方はない。何か特別なことをするのかを目的にするわけではなく、何気ない時間を他人と共有するのが旅であるという考えだから。ツアーでは味わうことのできない価値ある時間の流れ、そして人との出会い……。