LADIES & MOUNTAIN 150 YEARS ADVENTURE

Climbing
My Way

自分の山をしなやかに登る人。

INTERVIEW

02

内室紀子

登山ガイド

NORIKO UCHIMURO

Mountaineering Guide

自然の中にある不思議を探して。

「ほら、あそこを見て。1本の木から別の木が生えているでしょう。なぜあんなふうになったと思う?」

登山ガイド・内室紀子さんと歩く山は、まるで生物の課外授業のようだ。屋久島の中でも美しい照葉樹林が広がる西部の森を歩きながら、内室さんは何度となく足を止める。手には文字を書いては消せる小型のマグネットボード。植物や地形を図解しながら自然の成り立ちをレクチャーしてくれる。自然科学の分野の豊富な知識と丁寧なガイディングに定評があり、屋久島に来るたびに内室さんに案内を依頼する常連も少なくない。

「屋久島といえば縄文杉や、“もののけの森”として有名な白谷雲水峡。 観光スポットとして、さっと行って写真を撮影して帰るということもできるけれど、それではもったいない。ゆっくり歩いて、自然の現象や造形について思いを巡らせる。そうやって屋久島の自然を知り、楽しんでもらえたらいいなと思っていて」

急がず、ゆったりと。気持ちのいい場所を見つけたら腰を下ろし、コーヒーを淹れておやつを食べる。ぼんやりと森の中に座っていると、風が木々を揺らす音や、川の流れ、どこかで動物が動く気配を感じる。そして、あれは一体何だろうと疑問が湧く。それに答えてくれる人が隣にいるというのは、とても楽しいことだ。

冒険のはじまり。

兵庫県神戸市出身の内室さん。2001年に屋久島に移住して登山ガイドを始め、今は夫と2人の子どもと暮らしている。自然に興味を持ったのは高校生の頃。

「子どもの頃は登山やキャンプなどのアウトドアとは無縁。だからこそ星野道夫や椎名誠などの本に憧れたんでしょうね。自然の中に身を置いたり、海外で冒険したり。いつか自分もやってみたい!と思っていました」

社会人になって4年目、心の中で小さな火を灯し続けていた冒険への憧れがついに爆発する。内室さんは会社員時代に貯めたお金を握りしめ、カナダへ渡る。それだけでもアドベンチャーだが、向かった先がパイロット養成学校というから大冒険だ。「飛行機が好きだったので。国土の広いカナダは自家用セスナを持つことが珍しくなくて、車の教習所みたいな感覚でパイロットスクールがあるんです。それで、やってみたいなと」

空を自由に飛ぶのは最高の気分だった。セスナを操縦できるようになると、もっと大きな飛行機を操ってみたいという気持ちが湧いた。けれど、プロのパイロットの世界は厳しい。冒険はここまでかと思いきや……。

「手元にはまだ少しお金が残っていたので、どうしようかなと考えていたら、“あ!”と、ひらめいたんです。もうひとつ、やってみたいことがあったじゃないかと」

次なる冒険の舞台こそが、大自然だった。

屋久島でガイドになる。

飛び込んだのは、登山やカヤッキングなど、アウトドアアクティビティのプロガイドを養成する学校だった。原野でのテント泊や、長期のトレッキング、海や川でのカヤックやカヌーまで、あらゆるアウトドア活動についてみっちりと学んだ。2年間カナダで暮らし、26歳で帰国。さて、どこに暮らそうかと考えたとき、浮かんだのが北海道と長野、そして屋久島だった。

「山でガイドをするなら長野。自然のスケールの大きさなら北海道に勝る場所はない。でも寒い時期が長いと水遊びの期間が限られてしまうかなとか。自分が理想とする自然の中での遊び方を想像しながら、ぴったりの場所を探していました。屋久島は山、海、川がバランスよくあって、1年中アウトドアが楽しめる。オールラウンドにアウトドアを学んだ経験を活かせるし、何より楽しそう。それで、えい、と来てしまいました」

初めて屋久島に降り立った内室さん。家無し、職無し、土地勘も知り合いも、もちろん無し。唯一、事前に連絡を取っていたエコツアーを運営する会社からは「ガイドが足りているから仕事はない」と、冷たい返事を受けていた。ところが内室さん、「そこは関西人の押しの強さでね」と、断られた会社を直接訪問。運よく研修生として入れてもらえることになった。道がないなら切り拓く。それこそが冒険者だ。

西部の森には、かつてここで炭焼きなどを生業にした集落の痕跡が残る。内室さんは島の歴史など、人と自然の関わりについても丁寧に解説する。

不思議のかけらを集めて。

エコツアーのガイド見習いとして1年間、先輩の後ろについて、屋久島のあちこちを回った。

「屋久島の自然の中に身を置くと、毎回たくさんのクエスチョンが湧き上がってくるんです。それはたぶん島という特殊な生態系も関係していると思うのですが、ある自然現象について考えると、そこには様々な要因が複雑に絡み合っているということがわかってきます。それがすごく面白くて」

たとえば島の東にある春田浜。夏場は海水浴客で賑わう海岸だが、その岩場が、隆起したサンゴ礁であることはあまり知られていない。海水をかぶる岩場には植物が育ちづらいが、よく見ると青々とした葉を伸ばすものがある。イワタイゲキはその環境に順応した数少ない植物で、早春には鮮やかなレモンイエローの花をつける。長い年月をかけて隆起したサンゴの上にシバが生え、そこにイワタイゲキなど新しい植物が生育できる環境が生まれたのだ。

「「なぜここにシバがあるの? なぜここに花が? そんなふうに小さなピースを集めていくと大きな謎が解ける。それを繰り返していくと最後には地球全体とつながってくる。ジグソーパズルみたいな感じです。歩くたびにピースが見つかるので、もっと歩きたい、知りたいと思うんです」

自然というジグソーパズルは生きている。時間とともに形や大きさを変えるものだから、完成図というものがない。集めたピースをつなぎ合わせたとき、どんな風景が現れるのか。誰にもわからないからこそ知りたくなるし、わくわくする。内室さんが丹念に自然解説をするのは、その面白さをお裾分けしたいからかもしれない。

その瞬間を楽しめば、それでいい。

出産と育児による8年のブランクを経て、3年前にガイドとして復帰した。とはいえ、ペースは週に1、2回。家族と相談しながら、できる範囲でフィールドに出る日々だ。ガイド業のない日は、店主を務める自然食品店〈椿商店〉に立ち、地元の農産物や加工品、九州産の自然食品などを販売している。長男が生まれたことで、食べ物や日々使うものへの意識が変わったことが、店を始めるきっかけになった。

「母親が丸一日山に行っていないって、結構大変なことなんだなって、子どもを産んでから実感しました」と内室さん。多くの女性ガイドが結婚や出産を機に仕事から離れてしまう中で、自分なりのバランスを保って復帰の道を模索する彼女の姿は、若い世代の女性ガイドにとって、ひとつの道しるべになるはずだ。

内室さんは屋久島で活動する若手の女性ガイドとの交流も積極的に行なっている。通称「婦人部」と呼ばれる女性ガイドのコミュニティに参加し、不定期で登山や川遊びなどに出かける。

「あそこは行ったことがないから行ってみようよとか、サークルみたいな感じ。女性ばかりなので気兼ねがいらないし、悩みや愚痴も分かち合えて、ストレス発散にもなります(笑)。若いガイドの考えていることは新鮮で、勉強になることもありますし、私から何か伝えられることがあれば嬉しいですね」

自然と同じく、人生のジグソーパズルにも完成図はない。だからこそ、その瞬間を存分に楽しんで、新しいものを吸収していけばいい。1つずつ集まる色鮮やかなピースをつなぎ合わせた先に、自分だけの風景ができ上がる。その面白さ、エキサイティングさを、内室さんは誰よりもよく知っているのだ。

INTERVIEW

内室紀子

登山ガイド

NORIKO UCHIMURO

Mountaineering Guide

1974年、 兵庫県生まれ。カナダのアウトドアガイド養成学校で学び、帰国。2001年に屋久島に移住し、アウトドアガイドに。エコツアーを中心に展開するガイドオフィス〈山岳太郎〉に所属し、活動する。ガイド業の傍ら、宮之浦地区で自然食品と雑貨の店〈椿商店〉を営む
https://ringotsubaki.thebase.in/

Photography / Kazumasa Harada
Edit & Text / Yuriko Kobayashi