01 中村 竜

華やかな芸能の世界に踏み入れていたときも、軸足は海にあった。サーファーとして、アパレルブランドのディレクターとして、未来を見据えて活動をつづける中村竜さん。今回、中村さんが幼い頃から過ごした“ホーム”へ伺い、話をきいた。

海と触れ合い、自然体で生きる

サーフィンで活躍していた姿が目に止まり、地元の鎌倉でスカウトされ、俳優の世界に入っていった中村竜さん。今ではアパレルブランドを展開したりボードスポーツの楽しさを子どもたちに伝える場づくりをしたりと、自身のフィールドを広げている。それでも彼の生活の中心は、いまも生まれ育った鎌倉にある。できる限り海に入り、波に乗る。サーフィンを始めたのは、中学1年生の頃だったという。

「父が素潜り漁をやっていたので幼い頃から父の背中につかまって、海の中に入っていました。サーフィンも地元の両親の友人に誘われて、ごく自然な流れで始めていました。サーフィンって、とてもフレッシュなんです。自然のエネルギーに調和する行為だからでしょうか。うねりが来て、ブレイクが来て、乗る。そして波が砕けてなくなっていく……。繰り返されるサイクルのなかで、”波”というクライマックスの部分をいただいている。海に浸かるたびに喜びが感じられて、いつも新鮮な感覚です」

中村さんは家族と生活する住居の側に、サーフィンのための部屋を借りている。ワンルームの部屋には、サーフボードがずらりと並んでいて、海に面した大きな窓からは七里ヶ浜が一望できる。海岸まで徒歩30秒の距離。サーファーにとっては最高の環境だ。

「波に乗っている瞬間は一瞬ですが、海に入るまでの準備が結構大変なわけです。時間をつくって、着替えて支度をして、って準備が必要。いざ海の中でも、パドルアウトしたり、パドルアウトしようとしてできなくて、ってときもある。喜びの瞬間ばかりではないですが、それがすごく僕にとってはいいんです」

さらに陸で過ごしているときも、海や風のことを考えながら生活のリズムを整えてチューニングする。中村さんにとって、そういった時間もすべて含めてサーフィンの一部だ。

未来を担う子どもたちに伝えたいこと

中村さんは、次世代のボードスポーツのためのブランド〈H.L.N.A.(エイチエルエヌエー)〉を2009年に立ち上げた。未来のプレイヤーにサーフィン、スケート、スノーボード、などのボードスポーツを広く正しく伝え、楽しんでもらいたいという想いから、オリンピック候補の若手選手などのサポートにも力を入れている。
また、〈H.L.N.A.〉が運営するお台場のスケートパーク『RAIZIN SKY GARDEN by H.L.N.A』は中学生以下に無料開放されており、子どもたちがボードスポーツに触れるスタート地点となっている。

「子どもたちが楽しんでくれていると場の雰囲気もいいし、そういう子たちからムーブメントが広がっていくじゃないですか。でも都内の子は窮屈そうで自由に遊べる場所が少ないんじゃないかと感じていて、『都内にスケートパークを作ろう!』と思ったんです。スケートボードで遊ぶことが、ほかのボードスポーツにも興味をもつための入り口にもなってくれたらいいですね。次の世代のために、そしてより良い未来のために、自分たちでできることを自分たちのできる範囲で行うこと。プレイヤー自身が行動し、自分たちがボードスポーツの楽しさをリアルに伝えることに意義があると感じています」

ボードスポーツの未来を支えていくことに加え、子どもたちが外遊びの楽しさを知るきっかけを作りたいと中村さんは言う。

「現代では、スマホの情報だけで生きてしまっている子どもたちも多いと思います。確かに便利なアイテムですが、そればかりだと頭でっかちになっちゃうんですよね。もっと海に入ったり山に入ったりして自然を感じてほしいんです。『あ、北風、南風が吹いている』とか『ロータイド、ハイタイドだな』とか。地球の大きなエネルギーを感じて、自然を理解した上で社会や未来を築いてほしい。でないとどうしても人間本意な方向に向かっていってしまうと思います。できるかぎり自然に触れる機会を作ってもらいたい。その上で、便利なツールとしてのスマホがあるのが理想的ですね。
子どもの頃の、感情や感性が柔らかい時期に、海や山の存在はすごく必要だと感じます。自然から得るもので言葉にできない感覚がきっと宿るから、それを大事にしてもらいたいし、伝えていくのが大人の役目なんじゃないかな」

困難も幸せも同じお皿の上にある

カラッとした爽やかさが印象的な中村さんの、フラットな考え方はどこからやってくるのだろうか。人生のなかで壁にぶつかったとき、どう乗り越えてきたのだろう。

「僕自身、サーフィンも会社もいろんな試練だらけでした。それをどう楽しく乗り越えていくかだと思います。サーフィンは、波がありすぎても逆にまったくないのも難しいですし、仕事だって激務すぎても少なすぎてもダメですよね。『困難はあるものだ』という前提で、避けずにどうクリアするか。いろんな人に出会ったり、旅をしている最中、自然からもヒントをもらっています。
たとえば島の天気は、島の両側で天気が違ったりします。片面の波のコンディションが悪くても、もう片面はオフショア(岸から離れ海に流れる風、「陸風」)で良かったりする。必ず違う風が吹いているんです。そんなふうに、片側だけ見てもわからないこともあるし、裏側にチャンスが隠れていることもある。
そして自分にとって大変な状況のなかにも幸せはあると思っています。もちろん乗り越えたり、克服できたときは嬉しいですよね。困難も幸せも同じお皿の上にある気がします」

人間がコントロールすることができない自然のなかで生きる彼らしい答えだった。無理に抗うことはせず、どう捉えていくか、どの方向から見るかによって別の何かが見えてくることもある。

「大荒れの海に入ったことのある人が、多少の海の荒れでは動じないのと同じで経験に助けられることもあります。頭じゃなくて、対応の仕方を身体が覚えている感覚ですね」

いつでも自然体な姿勢で生きる中村さん。最後に今後の未来について話してくれた。

「これから何か新しいことを始めたいというよりは、自分自身が本当に心が惹かれるものを継続していきたいと思っています。好きなものをシンプルに。そぎ落として、より深く触れられるようにしていきたいんです。身体もつくりながら、精神もフラットにもっていたい。まだまだ乗りたい波もあるし、行きたい場所やブレイクもたくさんあるけれど、今は世の中がこういう状況だから叶わないこともあります。それでもその気持ちを忘れずに、いつか叶える夢として胸に小さくもって、この状況下でも日本でできることをやりつづけていきたいと思います」