時代を牽引するアーティストの曲作りから、自身のシンガー・ドラマーとしての活動まで幅広い“顔”をもつmabanuaさん。今回は馴染みのレコードショップなどを訪れながら、音楽クリエイターとしての情熱と信念に触れた。 <協力>撮影協力=JAZZY SPORT MUSIC SHOP
培った経験が、自分の限界点を広げていく
mabanuaさんの活動を肩書きをひとくくりに説明するのは難しい。ドラマー、シンガーとしてソロで活動しながらShingo Suzuki、関口シンゴとのバンド〈ovall〉のメンバーでもある。また藤原さくら、iri、向井太一、ゆず、くるりなど、多くのアーティストの制作にプロデュース、ドラマー、リミキサーとして関わっている。
彼が音楽に触れたきっかけは、両親がコレクションしていた往年の名曲レコード。ビートルズの『Let it Be』のジャケットのかっこよさに惹かれ、そのサウンドにも心打たれた。ピアノ教室にも通っていたが、自分の意思でやりたいと手に取ったのは意外にもギター。中学の頃にバンドを組み、どんどんのめり込んでいった。
「当時はみんながギターボーカルをやりたがっていて、僕は気づいたらベース、その後ドラム、とひと通りの楽器ができるようになっていました。最初は流されてドラムをやっていたのですが、だんだん良さがわかってきて。ライブでは、後方のドラムがフロントマンより目立てる瞬間がある。音楽の良し悪しを左右する重要なパートであり、バンドをコントロールするポジション。君がいないとダメなんだよ、と言われる喜びもある。そんな感覚を得られるのがドラムだったんです」
音楽の道への一歩を踏み出した少年時代から時を経て、2008年には自身のアルバム『done already』をリリース。制作のなかでレコーディングからミックスまでをひと通り経験する。その後、長年のファンであったアーティストのCharaに自身の音源を聴いてもらったことをきっかけに、プロデュースを手がけることに。2009年、その初めてのメジャーのプロデュースワークを皮切りに、さまざまなアーティストの作品制作に参加することとなる。
バランスのとれたものが好き
「人付き合いも考え方もすべて、バランスがとれているものが好きです。たとえば音楽の世界では、よくデジタルとアナログどっちが優れているかの議論があったりします。パソコンの中で完結させる音と、スタジオでマイク立てて録る音。昔は後者のほうが優勢だったんですけど、今ではデジタルの音の良さもトレンドとして確立された。でも『アナログの音はもう古臭いよね』って扱いもイヤで、ほどよくミックスされているのが好きです。車でいうとハイブリッドカーみたいな。自分の曲づくりも、生で叩いている音が半々で混ざっているのがちょうどいい」
それぞれに好みと考え方があって、各々がバランスよく世の中に存在する。そのスタンスは、彼の生み出す音楽にも現れている。自身が聴く音楽も、ジャンルはバラバラ。ビートのないアコースティックな曲から、インドの民族音楽、J-popの売れている楽曲まで幅広い。
「音楽の好みの基準は自分でもはっきりとはわからないんですよね。ただ、音を作る側のインプットが狭いと、新しいものを作れなくなる危険もある。僕みたいに雑食に聴く人ばかりではないから散らかりすぎないように注意しつつ、今のバランスをキープするようにしています。僕のことをヒップホップのアーティストだと思っている人もいるかもしれないですが、CM曲、アニメのサントラ、プロデュースしたCharaさんの曲……とこれまでいろいろ作ってきました。聴いてもらうタイミングや入り口がたくさんあって、別の曲を聴くとギャップに戸惑ったり散漫に思う人もいるかもしれないです。でもアーティストにとって間口がたくさんあることも大事だと思うし、それもバランスですかね」
ここ3、4年でソロの活動、プロデュースの仕事、バンド〈ovall〉とそれぞれの活動が相互に影響し合う関係になってきた。近頃は音づくりに関わっている曲を耳にして、気づいてくれる人が増えたことが本人にとっても嬉しいそうだ。
群馬への移住を決意
20代の頃は都内や横浜に住んでいたmabanuaさんだが、8年前に群馬県桐生市に移住した。移住以前はヘッドホンをつけて部屋で音楽制作をしていても、隣人からうるさいと小言をうけることもしばしば。音楽の発信地・東京で暮らすなかで、作品を生み出す環境の在り方に疑問を感じていたそう。
「ヘッドホンを使わずにでかい音で音楽を作りたいという願望は、みんなあると思う。だけどそれは東京だと住宅事情で難しいことが多い。お金がない若いときは特にね。そして日本はなぜか『イケてる人は都内に住んでなきゃ』みたいな空気がありますが、自分はそれを打破したかったんです。N Yのアーティストたちは、郊外に古い家を改造したようなスタジオを持っていることが多くて、彼らは人に会ったり、ライブのときだけ都心に行く生活が当たり前ですから」
現在の自宅には広いスタジオがあり、心地よい環境で音楽制作に集中できる。また、群馬に移住を決めたのにはもう1つ理由があるそうだ。
「どこに住んでいようが『あのサウンドが欲しいからお願いしたい』と思われるようなアーティストにならなくちゃ。そういう意味でこの移住は自分の逃げ道をなくすことでもありました。音楽の道に進むと決めた頃も、通っていた進学校を中退して音楽に専念したいと親に言ったら、やっぱり反対されて。若いんだから選択肢は広げておいたほうがいいという理由でした。でも僕は退路を断つことでお尻に火が付くし、逆に燃えるので中退を選んで今に至ります」
移住前は地元の人に受け入れられるかと不安もあったというが、杞憂に終わった。地元のライブへの参加オファーを受けたり、買い物先の店主とも顔馴染みの関係でコミュニティーのサイズ感がちょうどよい。群馬での生活は自然と馴染んでいった。
自分を守るボーダーラインをみつける
「『努力すれば報われる』ってよく言うけど、報われないことも実際あるんですね。だけどスタートから諦めると、報われるものも報われない。じゃあどうするのって話ですが、目標のために努力するのはもちろん大事。でも『これ以上は頑張りすぎて自分が崩壊する』と『これはもっと努力をしたらできるようになる』の境界線を見定めることも大切だと思います」
肝心なことは、限界を超えて無理をしすぎないことだ、とmabanuaさん。認められたい願望が先行して何でも『できます』と言いすぎないこと。他人の評価を気にするあまり、追い詰められてしまうのは自分のためにならない。
「僕自身も、他人からの要望や期待に応えたくなっちゃうタイプなんですよね。でもそもそも相手が求めることと、自分が差し出せるものや、やりたいことの間にズレがあるような、ミスマッチな仕事の依頼というのもあったりする。それは20代でたくさん経験して、実践と分析を重ねるとわかってくる」
そういった意味で、自分に何ができるのか、やりたいか。今取り組んでいる努力の方向性が正しいかどうかを知っていかなくてはいけない。そのボーダーラインは、他人に聞くものではなく自分で見つけなければいけないのだ。
20代は自分のボーダーラインを広げながら探していく訓練期。そこから30代半ばになると、仕事に対して冷静に意思表示ができるようになる。さらに自分の可能性を広げるためにも、アーティストとしての判断力や演奏力、あらゆることにおいての基礎体力を上げていく努力をすることが大切だ、と彼は言う。それは音楽のフィールドだけでなく、あらゆる表現やプロフェッショナルな仕事に共通する心構えだ。積み重ねてきた自身の経験が、多様なサウンドの中に通ずる“mabanuaらしさ”を支える基盤となっている。