豊かな自然に囲まれた奄美大島で、伝統的な染色方法「泥染め」に向き合う夏八木ことさん。かつては華やかなファッションの世界に身をおいていたという彼女は今、泥にまみれながら、自らのパレットに色をのせている。
泥染めの深い世界に魅せられて
サンゴ礁の美しいビーチが連なり、河口にはマングローブの森が広がる。鹿児島と沖縄本島のちょうど真ん中あたりに位置する奄美大島で、夏八木ことさんは伝統的な「泥染め」の技法を用いたものづくりをおこなっている。
奄美大島へやって来る以前はパリに12年間住んでいた。学校でオートクチュールを学んだ後、パリコレ、展示会、ショールーム等服飾関係を業務とするフランスの会社で働いていたのだ。そんな夏八木さんが、染色の世界に足を踏み入れたのは、ファッションそのものへの根本的な問いだった。
「パリ・コレクションの時期になると、世界各国からファッショナブルな人たちが来るんですね。それで、郊外で開かれる生地の展示会に行くとき、普段は人もまばらな電車がファッション・トレインのように煌びやかになるのですが、そこに自分も乗っていて、ふと目を窓の外にやるとトタン屋根の掘っ立て小屋のような家に、白い T シャツがたくさんロープに干してありました。その光景とファッション・トレインを見比べて、ギャップというものを感じてしまったんです。ファッション業界への疑問というか、もう一度原点に戻って、着るということの意味や、表面的にではなく、自分に合ったものを大切に着るということを考え始めました」
そのことがきっかけで、手作業で洋服をひとつひとつ作ってみたいと思い、生地に興味をもつようになったという。その後、日本には着物という素晴らしいものがあることを再認識し、着物の勉強をしたいと考えるようになった。そのなかで、北海道から南の島まで全国の産地をめぐり、職人さんに会って、産地の生地を使い、オートクチュールのようなかたちで一点ものの服を作るプロジェクトを思いついたのだという。
「日本の伝統を継承していきたい、日本の素晴らしい着物の生地をパリで紹介したいという思いがありました。当初は、職人さんたちをパリに連れて行き、実演してもらって、その生地を使って作品を作るということがしたかったんです。ところが、そのプロジェクトをはじめようと最初に訪れた奄美大島で、大島紬の勉強をするうちに泥染めの魅力にハマってしまい、ここに住んでいます。全国をめぐるどころか、大島紬で止まってしまいました(笑)」
長く険しい泥染めへの道
2006年に奄美に移住。2014年から北部・笠利町で師匠の肥後明さんに指導を仰ぎながら、染色家として泥染めをはじめとする染色に携わっている。
泥染めとは1300年以上つづく大島紬の染色技法で、おおまかに説明すると、まずはシャリンバイという樹木を朝の5時から7〜8時間煮出して抽出した朱色の染料に生地を揉み込み、その後に生地を泥で染める方法だ。泥田に漬け込んで染めた生地を、川の水ですすぎ、天日干しする、という工程をお目当ての色になるまで繰り返す。光沢のある、渋い黒色に染めるには泥に計100回ほど生地を漬けるそうだ。
華やかなファッションの世界からはほど遠く、1枚の泥染めの生地ができあがるまで気の遠くなるような作業工程。正直なところ、やめたいと思ったことはないのだろうか?
「体力的にはキツイですし、常に水を使うので寒い時は大変です。考えていたらできないので、とにかく体を動かして、無の状態でやっています。染色といってもすごく深くて、一発勝負で、毎回同じようにはいかないんです。体を動かす仕事が好きだということはありますが、だから続けられている気がします。師匠もチャレンジするのが大好きなので『この作業をしてから染めると色が違うね』など、ふたりで試行錯誤して、新しい色を探したりしています。それもとても楽しいですね」
笠利町の集落の泥田は、鉄分を含む赤土で、ミネラルが豊富。泥染めに適した田んぼではあるが、伝統的な泥染め職人の多くは農業に転換し、工房も減ってきているそうだ。「シャリンバイを山で切り出すところから行っているのは、大島でも肥後さんくらいかもしれません」と夏八木さんは言う。それでも、「泥染めを認知してもらいたい」の一心で、泥染めに取り組んでいる。
泥染めの可能性を模索中
素材に関しても、染めるのは絹だけではない。伝統工芸に新しい息吹を吹き込むべく、リトアニアのリネンを染めるプロジェクトに参加をしたこともあるというが、主に夏八木さんが染めているのは、洋服用の綿と麻。「ゆくゆくは着物を着てもらいたい」という思いを胸に、自身が大島紬に出会ったとき、高価で買えなかった経験から、若い世代も含めて多くの方が手に取れるものを届けたいという思いがあるからだ。
「近年は機屋さんや泥染め職人さんの2代目の方々が立ち上がって、自分たちで新しい作品を生み出そうとしてらっしゃるので、そういった動きもすごく心強いですね。個人としては、少しずつ思い描く色が出せるようになってきたという実感はありますが、師匠は職人歴48年になりますから、まだ足元にも及ばない。やっぱり経験から出てくる感覚というものが全然足りないんです。紬の糸は実はまだ怖くて触れないですし、今も師匠に習いながらやっています」
まだまだ修業中の身であると、学びの姿勢を忘れない夏八木さん。グレーの空に覆われたパリから奄美に来て、「自分のパレットに色が戻った!」という喜びを原動力に、今は洋服をメインで作りながら、何を染めるのかということも含めていろんな方向性を模索中だという。そんな夏八木さんに、最後に、今後挑戦してみたいことを尋ねた。
「世界には泥染めをやっている国がいくつかあるんです。以前、アフリカのマリの泥染め職人の方に会ったのですが、やり方が大島のものとは違っていて興味深かった。ハワイのカウアイ島でも行われているのですが、色も染め方も全然違う。いつか海外の職人さんたちとコラボレーションをして作品を作ってみたいなという思いはありますね」