ARTIST
NELSON_
MOUNTAIN SKIER
アメリカで「女性初」を何度も
手にしてきたアスリートが
今見つめている風景とは。
- PROFILE
- ヒラリー・ネルソン / HILAREE NELSON
- スキー登山家
- 1973年、アメリカ・ノースウエスト生まれ。ザ・ノース・フェイスのグローバルアスリートチームのキャプテンを務める。これまでヒマラヤの8000メートル峰からの滑降を幾度も成功させているほか、インドやボリビア、アルゼンチン、レバノン、バフィン島などの世界各地の山での滑降経験を持つ。2018年9月30日、世界第4位の高峰ローツェ山頂からの初スキー滑降を、パートナーのジム・モリソンとともに成功させた。
自然の中で自分の小ささを知り、
命をかけた選択を積み重ねることで、
確かな自信を身につけてきた。
2018年9月にローツェ(8516メートル)を登頂後、スキーでの滑降を成功させました。その後のインタビューで、「今は燃え尽きた感覚だ」とおっしゃっていましたが、現在の心境はいかがでしょうか。
モチベーションは少しずつ戻ってきていると思います。ローツェへの挑戦は、私にとってずっと大きな目標でした。10年もの時間をかけて計画を練り、パートナーを見つけ、タイミングを見計らい、ついに挑戦を成功させることができた。全てを終えて自宅に帰ってきたら急に現実に引き戻された感覚がして、燃え尽きたような気持ちになっていたんです。
でもその後の1年を振り返ってみると、登山以外の重要なことに集中できた年になりました。特に家族と過ごす時間をゆっくりとれたことが重要でしたね。一緒に冒険したり、かけがえのない時間を過ごすことができました。あとローツェ後で、キャリアとして注力してきたのが非営利団体の活動です。自分が情熱を持って取り組める活動に絞っていますが、「Protect Our Winters」や「Arctic National Wildlife Refuge」にまつわる活動に参加しています。私の愛する自然を守るプロジェクトに協力しながら日々を過ごして、最近はまた大きなエクスペディションに挑戦するモチベーションも徐々に回復してきているように思います。
ただ、それもあと数年かもしれません。自分の年齢的な問題もありますし、モチベーションを保つのは年々難しくなってきていますね。
エクスペディションに挑戦しだした頃と、今とでは、モチベーションにどのような変化があるのでしょうか。
キャリアは20年にもなるので、当初の自分と今の自分とでは100%別人のようなものです。20代でまだ子供も持っていない時には、ただただ未知のものへの好奇心や学びたいという気持ちがモチベーションでした。制限もなかったし、遠くの地に行けるというだけでワクワクしていた。その生活をなにより愛していました。でも時が経ち、子供を持って気持ちに変化が訪れます。エクスペディションを通して、自分のことをもっと知りたい。証明したいと思うようになったんです。
「誰に」、「何を」証明したいと思ったのでしょうか。
まずは、自分に対してですね。山に登るというアクションはシンプルだけどとても難しい。人間の繋がりが試されるし、身体的、限界的な限界を知ることにもなります。昔はなかった自信が、今はあると言えます。それは過信ではなく、経験から身についたもの。例えば、芸術をずっと勉強してきた人が、絵の筆の動きを見て、そこに込められた意味を察することができる能力と近いように思います。今は体を効率よく使う術も知っているし、計算もできるから、客観的になれる。すべての情報を繋ぎ合わせ、以前より体力を使わずに動くことができるようになりました。そのことを自分で自分に証明したいという思いです。
次に、子供への証明でもあります。母親としてのアイデンティティももちろん大切ですが、それだけではなく、情熱を持ってスキーに挑戦している自分のアイデンティティについても知ってほしかった。あとは、シーンに対しても。身体的にはリスクを負うけれど、耐性もあるし、女性でそして母であっても、こういう仕事ができるということを証明したい。エクスペディションの業界に対しては自分が意見したいこともありますから。
それは具体的にどのようなことなのでしょうか。
例えば、男性との賃金格差。自分としても、キャリアの中で長年足りないパズルのピースは「お金を稼ぐ」ということでした。女性は、自分のスキルを多くの場合で安売りしてしまっているように感じています。私は自分と同じような業界で生きる女性アスリートに個人的に電話して、一人一人と対話するようにしているんです。するとやはり、自分のスキルを安売りしてしまって、男性と等しい対価を受けてとれていないことが多い。小さな取り組みではありますが、一人一人に対して提唱していくことで「状況は変えられる」ということに気がついて欲しい。私も、はじめは自信を持って声をあげることには躊躇しました。でも、できるようになるんです。
こうしてインタビュー答えることで、
どこかの女性の手助けになるかもしれない。
それも、私の女性としての情熱です。
女性であることの、ポジティブな側面はどのようなことがあるでしょうか。
もちろん、ポジティブな側面もありますよ。女性のビッグマウンテンスキーヤーは数少なかったので、真っ白なキャンバスのような状態でした。だから、何をやり遂げても「女性初の」というタイトルをもらってきました。でも今は、男性と同等に扱ってほしいからその冠自体を嫌がるアスリートも多いですね。そう意識が変わってきたのは良いことだと思います。
あとは、女性ならではの考え方です。エクスペディションへはチームを組んでチャレンジしますが、身体的に女性と共に行くことは仲間にとってリスクにもなります。でも山に対する考え方が男女で大きく違うことを、彼らは尊重し、そして感謝してくれます。あとはこうしてインタビューに答えて話をすることで、どこかの女性の手助けになるかもしれない話ができること。それも、私の女性としての情熱ですし、喜ばしいことですね。
すごくポジティブで情熱的なそのマインドは、山の経験から来るものなのでしょうか。
そうですね、自然が育んでくれたのだと思います。気持ちが落ち込んだときには身体的な活動で高揚感や幸福感をもたらすのが有効だと考えていて、ランニングやクライミングをすることで、ポジティブな気持ちに切り替えるようにしてきました。自然の中では瞬間ごとに自分の生死をかけるような選択を迫られます。そういう状況を積み重ねてきたことが、今の自信に繋がっています。
幼少期はすごく静かな女の子でした。自信もなかったし、初めから今のように声をあげられる女性ではなかったんですよ。ワシントン州で生まれて、親に連れられてボート生活を一ヶ月送ったり、幼い頃から自然には強制的に触れてきました。ボートの上は退屈だし、岸には熊がいるし、当時はいやでいやで仕方なかったけれど(笑)、でも振り返ってみるとなんて贅沢な経験だったんだろうと思います。だから私も、子供たちに同じ経験をさせたくて今年の夏にはボートで過ごしたんですよ。
あなたにとって自然との触れ合いはなくてはならないものなのですね。
普通に暮らしているだけで、様々な困難に見舞われるでしょう。でも、情報に溢れた生活の中で携帯電話も手放して自然の中に踏み込むと、自分の視点がリセットされて、大きな世界の中での自分の存在の小ささに気付くことができるんです。忘れられないのが、ローツェ登頂を叶える直前の朝6時くらい。エベレスト越しに朝日が登ってきたのを見て、その壮大さや美しさには言葉を失いました。「だから、私は山に登るんだ」、そう思った瞬間でしたね。でも、それはローツェのような大きな挑戦でないと感じられないことではありません。ただ、一晩星空の下で過ごしても、同じような感覚を得ることができるでしょう。
山は過酷です。これまで何人もの友人を山で失くしてきました。過去には自分も、リスクを顧みず現実逃避をするように山に登っていた時期もありました。それは、正しい選択ではなかったと思います。それでもこれまでに自分の自信を得るだけのスキルを身につけられた私はラッキーです。一緒に山に登るパートナーとは真の繋がりを得ることができるし、精神的、身体的に、健やかさを手にいれることができる。だからこそ、私は山に登るし、それなしでは自分ではないと思っています。
- Photo / Ippei Yume
- Movie / Yu Nakajima
- Illustration / Keisei Sasaki
- Interview / Rio Hirai