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つなげる力
#KOM_I_
ARTIST

古いものこそ、新しい。
循環サイクルの一部となり、
歌声で次につなぐ。

PROFILE
コムアイ / KOM_I
アーティスト
1992年生まれ、神奈川県川崎育ちのアーティスト。水曜日のカンパネラのボーカルとして、国内だけでなく世界中のフェスに出演する。2019年には屋久島とのコラボレーションをもとにプロデューサーにオオルタイチを迎えて制作した「YAKUSHIMA TREASURE」をリリースし、同名のプロジェクトにて各地を巡る。また今回の撮影場所は、“水”曜日のカンパネラや中国では“水姐”の愛称で親しまれているなど、水との特別な関係性を感じているということで奥多摩の海沢三滝やわさび田などで敢行された。

急に渦の中に飛び込むことで、
自分の人生が考えていない方向へ
進むことを期待していた。

水曜日のカンパネラといえば、桃太郎などの有名人物をタイトルにした楽曲や鹿の解体パフォーマンスなど奇想天外なイメージがあります。しかし2018年には屋久島へ何度も足を運び、現地の人々と触れ合い、フィールド・レコーディングを行いながら制作したEP『YAKUSHIMA TREASURE』を制作。その制作きっかけとなったYouTube Originalsのドキュメンタリー作品『Re:SET』では、タイトルにもなっているように、コムアイさんにとって大きなターニングポイントだったのかなと思いますが、ご自身ではどのように感じていますか?

確かに今は屋久島でのプロジェクトをきっかけに、自分が素直に思っていることやずっと関心があったことと、音楽が繋がりやすくなったように思います。でも、自然や民俗学に対する興味はもともと持っていたもので、急に生まれた欲求でもありません。今回の撮影で奥多摩を案内してくれた菅原和利さんは高校の頃からの知人なんですが、彼も含めて何人かの昔の知人が、「今までの音楽活動を見てた人は驚いたのかもしれないけど、自分が知ってる美咲ちゃんに戻ってきてる感じがする」と言ってくれました。
学生の時は、一応吹奏楽部には入っていたんですが、音楽にはまっていたわけでも、「自分で何かを作る!」という欲があったわけでもありませんでした。とにかく暇だったので何かしたいとおもって、社会問題に関心を持ちました。15歳ぐらいのときですね。だからピースボートの地雷除去募金の活動に参加したりしたこともありましたし、一ヶ月間茨城県の農場で生活し、農作業を手伝っていたこともありました。このまま田舎で結婚してジャムとか作って、気持ちよく暮らすのもいいなと考えていたぐらいです。
だけども、あまりに居心地がよすぎて、もっと摩擦とか抵抗のあるものに自分が向かっていくようなことがあってもいいのかも……と思うようになったんです。それを体験するなら今なのかな?と思って、東京へ戻って音楽の世界に入りました。急に渦の中に飛び込むことで、自分の人生が考えていない方向へ進むことを期待していたんです。恥ずかしいのでライブなんて無理だと思ってたけど、やってみたら意外と泳げたみたいなこともあって……それからなんでもトライしてみようと思ってやってました。

飛び込んだ先がなぜ音楽だったのですか?

正直、誘っていただいたからです。その誘っていただいた人が役者になった方がいいんじゃないって言ってくださったら、役者になっていたのかもしれません。最初はそれぐらい軽い気持ちでした。ただマネージャーもそれまでに私が何をしていたのか、何に不満を持っているのかを理解した上で、社会に対する疑問をアーティストとして伝えてみるのはどうなの?と進言してくれたんです。それで水曜日のカンパネラをはじめることになりました。

渋谷のライブハウス等で鹿の解体ショーは大きな話題となりましたね。

そうでしたね。あれも単に奇抜なパフォーマンスに見えますが、肉を食べるのがどんなことなのかに関心を持ってほしい、家畜の肉を食べている人たちに野生の鹿肉が美味しいということを知ってほしい、という思いから生まれたものでした。“かわいそう”から“美味しそう”に変わっていく、感情の変化が不思議です。受け取られ方はさまざまでしたけど、私にとっては意味のあるパフォーマンスだったと思います。

その後メジャーデビューを果たし、2016年にはアメリカ・テキサス州で開催される音楽とデジタルが合わさったフェスティバルのSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演し、2017年には日本武道館デビューを果たすなど、大きな渦に入ってみてどうでしたか?

先ほどの鹿の解体のパフォーマンスの話ではないですが、どんどん自分が見られる印象が変わっていきました。全部自分でハンドリングしていたのかというとそうでもないのですが、だけど想定外の物事に引っ張られたり、いろんな人に背中を押してもらって、自分でも気づくことができなかった魅力を発見することができたり、今までなかったものが開花したりという面白さを実感していました。私自身もそのおかげで生意気だった自分の性格も大きく変わったと思っています。

歌声は技術だけで
良く聞こえるものでもない、
その人らしさを隠せるものでもない。

今年の2月中旬。2日間に渡って行われたウタサ祭りでは、青葉市子さん、マヒトゥ・ザ・ピーポーさんやオオルタイチさん、そしてアイヌの方々と一緒にビートセッションをされていましたね。

アイヌ文化へ関心を持ち始めたのも最近の話ではなく、ご縁があまりなかっただけでした。でも北海道でライブした時に訪れた、新千歳空港でアイヌ民謡のすごく綺麗な歌声が聞こえたんですね。そこで出会ったのが良子さんという、アイヌの人々が伝承してきた歌を私に教えてくださっている先生であり、お母さんのような人です。良子さんからは歌だけでなく、料理を教えてもらったり、アイヌの史跡に連れていってもらったり、生活自体を学ばせてもらっています。いいですよね、先生がいるっていうのは……。例えばインドとか、どこに行ってもそうなんですけど、私の中で“先生”と呼べるような人って、単に技術が優れた人というよりも、私自身がその人本人をとても尊敬できて、本当に出会えてよかったって思うような人。特に歌声となると技術だけで良く聞こえるものでもないですし、その人らしさを隠せるものでもないと私は思っています。だから良子さんの歌をはじめて聴いた時も、「この人の性格が好き!」となったことを覚えています。実際に私も歌として出てくる愛情みたいなのも彼女に育ててもらっているなと思うんです。

インドにも先生がいるんですね。最近、音楽はインドの古典音楽しか聴いていないとメディアのインタビューでおっしゃっていましたね。

そうなんです。もともと3月にインドの先生のところへ行って歌を教えてもらう予定だったのですが、それがコロナウィルスの影響で行けなくなってしまったんです。
南インドに興味を持ち始めたのは、N.S.ハルシャという画家の、いろんなインド人がバナナの葉にのったミールスを食べている絵を森美術館で見て、この文化圏に行きたいと思ったのがきっかけの一つでした。古典音楽に惚れて、東洋音楽を体系的に学べそうなのでいいなと思いました。インドの歌い方、日本の昭和歌謡曲にも感じるエッセンスみたいなものが感じられるんですよね。こぶしだったりとかしゃくりだったりとか。日本の音楽とのつながりを感じた瞬間はものすごく興奮しました。

考えるより動く。
考えすぎると、遠くなっちゃう。
だから先に身体を動かす。

高校生時代の農家生活からYAKUSHIMA TREASUREやウタサ祭りへの参加など、コムアイさんの話を聞いていると、行き先はさまざまですが、どこか旅先での行動に一貫しているものを感じます。コムアイさんを突き動かしている“関心”とはどのようなものに対する関心なのでしょうか?

簡単に言ってしまうと今の私が受け継いでいる“暮らし”そのものかもしれません。例えば、小学生の頃から「このゴミってどこへ行くんだろう」という素朴な疑問もっていました。授業で生態系の循環サークルについて学んだときに、じゃこのゴミもどこかを経由してまた私たちのところに戻ってくるのかな……とか。知れば知るほど、自分の食べるものや使うものが、どこから来てどこへ行くのか。なんか大都市にしかないブラックボックスみたいな存在が見え隠れしてきて、それに対して少なからず怯えみたいなものを感じていたんだと思います。だけども、高校生の頃に一ヶ月間茨城県の農場で生活し、そこでの暮らしを体験すると“気持ちよかった”んです。なぜかというと、私たちと自然と動物が共生していることを感じたから。私たちが生活で出す生ゴミが鶏や豚などの動物の食糧になったり、土に埋めたら微生物が分解し、野菜が育つ栄養になる。都会ではあまり感じ取れなかったのですが、農場は私たちも循環サイクルの一部にいることに、繋がっていることが感じられる場所でした。それまで気になっていたストレスが解けたって感じがしました。

インドへ訪れては古典音楽を勉強したり、アイヌの民謡を習ったり、さらに能を習っているのも、ある種、昔から今のサイクルを感じたいわけですね。コムアイさんの活動から「古いものに新しさがある」という感覚を教わった人はたくさんいるのではないかと思います。

音楽を例にしても、みんな新しいものから聴くことが普通だと思うんです。私にとっては、古くから存在し続けているものこそ新鮮な輝きがある。しかも強度がある。なぜなら現在に遺るまでに色々な人が試行錯誤しどんどん良くしていった足跡が蓄積されて今の形となっているから。能の謡(うたい)を習う時って、先生が詠んだことを真似して詠んでいくんですね。民謡も同じですよね、先生に歌ってもらってそれを真似する。こうして習いごとをしていると物事や文化の流れが模様みたいになって代々いろんな人の身体を通じて受け継がれているって感じるんです。そしてその雫が自分のところに垂れてくる。私の場合は、その流れの中にいれることがまず幸せです。それは私と自然との関係にも同じことが言えます。私にとって自然はある種の憧れです。鹿の解体も、拾った木の実を食べるだとかも、そこに生きている生き物や動物を食べることで、山の生態系におけるサイクルの一部になれるんじゃないかなという願望なんですね。

やはりインターネットで調べるとか、誰かから聞くだけではなく、自分の目で見たい。

そうですね。全部視点の問題ですからね。自分の眼できちんと見れると、腑に落ちることが今までにもたくさんありました。今、熊野全体をインスピレーション源にしていくプロジェクトがあって、そのメンバーのひとりが熊野の近くにいて、ある神社を訪れてiPhone持ちながらZOOMを開いて、駐車場から鳥居、そして神社の順に見せてくれて(笑)。「そこ右行くとどうなるんですか?」とかパソコン越しに言ってみたり。それでその時は「あ、なんかリモート参詣いいのかも」とか、熊野の雰囲気や良さを結構わかっていた気になっていたんです。でも緊急事態宣言があけてから実際に行ってみると全然違って。映像は十分綺麗だったし、位置関係とかも把握できていた……はずでした。改めて人間の脳ってすごいんだなぁって関心したんですね。ひとつのものを見ていると思ってもいつの間にか全体が見えてたり、後ろで起きていることも感じている。そのおかげで、実際に行かないと浮かばないアイデアがどんどん湧いてくる。
自粛期間中、美術館もオンラインで見たりして、「ちゃんと見れるじゃん」って思うんですけど、実際に行ってみると、絵の具の分厚さ、色の濃淡、自分との大きさの対比など、一つの絵から感じ取れる情報の質が全く違う。いろんなことをリモートではじめたことで、改めて自分の身体の能力について知ることができました。私たち実はものすごい機械を持っているんだと。

インドに屋久島、北海道、さらにはエストニアやキューバなどに実際に訪れて現地の人に触れ、現地の生の景色をみています。コムアイさんは行動力の塊ですね。

考えすぎて、どの道を選択をするのが1番いいとかを考えていると遠くなっちゃうような気がするんです。だから先に身体を動かす。“考えるより動く“ですよね。これは音楽に言い換えると即興で演奏するときに近い。最近即興にも挑戦しているのですが、あれはずっと自分の中で何かを湧かせ続けないといけないんですね。自分が飽きないようにどんどん、どんどん……。決まった歌詞やメロディではなく、一番自分の素の部分であったり、コアな部分から出る“自然な”声。綺麗な歌声とかよりも、自然と出てしまう生活の歌声、肉体に問いかけ、響くような声をこれから届けていきたいなと思います。


  • 写真 / 鈴木親
  • イラスト / 峯山裕太郎
  • インタビュー / 川島拓人 (kontakt)